防災・減災への指針 一人一話

2013年11月22日
多賀城市から、日本全国、そして、世界へ「技術」と「震災の教訓」を発信
公益財団法人 みやぎ産業振興機構理事長
井口 泰孝さん

日本全国や全世界へ震災の教訓を発信する必要

(聞き手)
 みやぎ復興パーク設立の経緯と、同パークのご紹介をお願いします。

(井口様)
 「みやぎ復興パーク」は、「東日本大震災により被災された東北地域企業の早期復興のために施設の一部を活用いただきたい」というソニー株式会社の強い思いを受け、宮城県や社団法人東北経済連合会、東北大学ほか関係機関が協議を重ねた結果、みやぎ産業振興機構が同社の仙台テクノロジーセンターの施設の一部を借り受け、被災を受けたものづくり産業の復興を図るための活動拠点として、平成23年10月12日に開設しました。
1年ほど遅れてしまいましたが、開所式を平成24年12月20日に行い、やっとお披露目までたどり着きました。
現在、みやぎ復興パークには、東日本大震災で被災された企業などが入居されて活動しています。
そして、復興への新たな産業創造などを進めています。
植物を栽培する会社の工場にも入居して頂きましたし、障害者施設などで、お弁当作りをする会社なども入っています。
今は26団体、面積で46%の入居率になっています(平成25年11月現在)。
福島印刷工業株式会社さんの工場では最新の印刷技術を使用しています。
また、東北大学の次世代移動体システム研究会では長谷川先生が主導し、開発した自動車を運転する事も出来るようになっています。
他にも経済産業省のサイバーセキュリティー施設が入居していたり、東北大学の小柳先生が半導体研究をしています。
小柳先生から、もう少し大きな施設で展開したいとおっしゃったので、これ幸いと、巨大なクリーンルームに入って頂きました。今では大きな装置がたくさん置いてあります。
昭特製作所さんは元の場所に工場を再建され、卒業されました。
みやぎ復興パークの場所を貸してくださっているソニーさんでは、エレベーターが必ず2階で止まるようになっているなど、震災の経験をしっかり取り入れた対応をしています。
電源もしっかり確保してあるので、ソニーさん全体と、みやぎ復興パークすべてに対応出来るようになっています。
余所で話をする際には、もっと東日本大震災での事を勉強して、津波対策をしなければいけないとお話します。
この間も、東京での500人以上の参加者が集まる会で、そのように申し上げました。
先日はJST復興促進センターで、「この経験を踏まえ、成果を上げて、国からのお金を要請し、皆さんに発信しないといけません。しかし、この教訓は、まだ日本や外国で活かされていません」と申し上げてきました。
そのためには、みやぎ復興パークで、いろいろと研究して頂くとありがたいと思います。

「復興パーク」を活用した、市の取り組みへの期待

(聞き手)
 いろいろな企業や団体が入られて、互いに刺激しあい、新しいものが生まれるのでしょうか。
先日、取材に伺ったみやぎ復興パーク内の企業様からも、同じ話をお聞きしました。

(井口様)
 私も一番強調したいがそれなのです。
個々の企業が連携して情報発信をするなどして、井の中の蛙にならないようにと常々言っています。
そのため最初に、ホテルキャッスルプラザ多賀城さんで懇親会を開きました。この間も技術交流会を大々的に行いまして、私も挨拶をしてきました。
主に東北大学の方が多くいらっしゃいましたが、お昼休みにはソニーの研究者や技術者の方なども、多く見学に来られました。
みやぎ復興パークには、そのような連携を担う役割もあります。
 また、私はJASFAというNPO法人を作りました。仙台の馬渕工業所という、建設資材や機器を扱っている会社が参加しているのですが、その会社とは昔からの知り合いです。
ある時、その馬渕工業所の小野社長さんが来て、持続可能な新エネルギーの活用推進協議会を作ろうと提案されました。すぐに準備に取り掛かり、申請直前まできていたところで3.11の震災に遭いました。
その後、すぐに申請を出しましたが、名前を「持続可能で安心安全な社会をめざす新エネルギー活用推進協議会」という、とても長い名前に変えました。
馬渕工業所の小野社長さんは東松島市出身の方だったので、私たちは東松島市を支援する事にしました。太陽光発電と小さな風力発電装置を小学校の屋上に設置したり、技能者を養成したり、八王子の医療社団法人KNIという所に協力してもらって、診療所を開設しました。
 多賀城市についていえば、市として独立して動く事も大事ですが、もう少し日本全体と連携する事が大事だと思います。
工業団地が作られていますが、そこを主導している方々が的確な行動をとり、それにより、上手に事が運ぶ事を願っています。
その一方で、多賀城市の独自性を出していく必要もあるでしょう。すぐ隣に大都市・仙台市があって、仙台港は仙台市、塩釜港は塩釜市で、多賀城市は後背地に甘んじています。その中で何か事を起こそうと単独行動するよりは、どこかと連携して、私たちのような県の組織を大いに利用してもらうことが重要だと考えています。
 もともと、みやぎ復興パークは、ソニーさんが東北大学に相談を持ち掛け、仙台市、宮城県、東北大学、東北経済連合会で構成される産学官連携ラウンドテーブルで議題として話し合われてから設立された経緯があります。
しかし、私は良くない点は、未だに縦割り組織になっている事と、地域割になっている事だと思っています。
 多賀城市も頑張らなければいけませんし、歴史的な資源と現在持っている資源を利用して頑張ってほしいと思います。
単独でうまく行かない時には是非連携して頂きたいと、改めて強調したいです。
日本中で、これだけの施設やインキュベーターを持っている自治体はほとんどありません。
仙台市のインキュベーターはアエル内にありまして、そこではNAViSを含めて活動しています。
また、仙台にはFinland Wellbeing Center(仙台フィンランド福祉健康センター)という施設がありまして、私がフィンランド政府と仙台市を結び付けたものです。
多賀城市にはこういった巨大な施設などがあまりないので、みやぎ復興パークを利用してもらいたいというのが私の思いです。
 ですが、ここを、早期に卒業して頂きたい気持ちも多分にあるのが本音です。
卒業後は、ここに少しでも出先を置いておくと情報が入りますので、それが大事だと思います。
私はテクノプラザみやぎの社長も兼任していますが、そこでは頻繁に企業同士の情報交換会に出向き、知り合いの企業のトップの方たちとお話をして、交流します。
この前は芋煮会をしましたし、新年会や忘年会もあります。泉区にある21世紀研究センターは、東北大学と三菱地所、宮城県と当時の泉市に応援に来て頂き、みやぎ工業会の会員の方なども呼び掛けて作りました。
初めの頃はトヨタや東芝、日立などの大企業に入居してもらい、私を含めた東北大学の教授たちがアドバイザーとして、毎週交代で行って、意見交換会をしていました。それから、大企業が引き上げまして、代わりに小さな企業が入り、今に至ります。
20年経って建物を改修しましたが、今でも利益を上げて立派に動いています。このようなインキュベーターがあるので、何度も申し上げていますが、ぜひ、みやぎ復興パークを利用して頂きたいと思っております。

歴史に学び、ヒト、モノづくりを考える地域イノベーションの在り方

(聞き手)
 みやぎ復興パークの今後の課題などについて、ご意見をお聞かせください。

(井口様)
 みやぎ復興パークから世界に羽ばたく企業と研究結果を輩出して、日本を再度、科学技術立国にするようなものを発信してもらいたいというのが今後の課題です。将来的には、みやぎ復興パークにいる企業が新しい技術を導入・確立して卒業していかれるのでしょうが、ここから出た企業がごく一部でもいいので、多賀城市に立地して頂きたいというのが私の思いです。
 国からはCOC(地(知)の拠点整備事業)やCOI STREAM(革新的イノベーション創出プログラム)というプログラムが打ち出され、地域イノベーションに力を入れています。
COCでは、宮城教育大学が拠点の一つとして採択されました。地域イノベーションをするためには。もちろん国の政策が必要ですが、今は東京に色々と一極集中し過ぎているように感じています。
 宮城には、ベガルタ仙台や楽天が出来ました。さらに、楽天は優勝をして、地域がイノベーティブに、革新的になってきています。
これは地域だけを革新させるという意味に留まりません。
震災時はトヨタの会社で生産が出来なくなりましたが、それも被災地から部品を仕入れていたからです。
地域立地型にしていかないとリスクマネジメントが出来ないという事は、今後、非常に大きな問題になってくる事でしょう。もし東京直下型地震が来たら、あるいは富士山が噴火するなどしたら東京は大変なことになってしまいます。ですから、そのリスクを軽減する方法が必要になります。
東京には東北出身者が多くいると思いますが、東北の介護施設に戻って来たいという声はほとんど聞かず、四国や九州に行きたいという声を聞きます。
東北の地域は全体的に魅力があると思いますので、それを、住民や若い人にどのように伝えるかが問題になります。その点では、福島の原発問題が大きな足かせになってしまっているのでしょう。
 東日本大震災で起きた不幸な出来事を、将来に渡って良い方向に持って行くためには、学んだ事をしっかりまとめて、日本や世界に向けて発信していく事が最も重要になると思っています。
中でも多賀城市は、日本の歴史において、古代東北の中心でした。
すなわち、文化の地でもありましたので、これを取り戻したら良いでしょう。歴史から学ぶ事で、東北はもっと自信を持つ事が出来ます。
この国は決して、文化が果てる国などではありません。そのためにも、若い方に自信を持って頂く必要があります。
宮城県には青葉区、太白区、大衡村などに、6つの少年少女発明クラブがあります。
ですが、多賀城市や塩釜市には発明クラブはありません。
被災地域に、子どもたちから物作りを考えていく場と機会があった方が良いと思っています。ここで成果をどんどん挙げておかなければいけません。
今回の震災の件で、東北大学の先生方は震災が起こる確率がどんどん上がっているとおっしゃります。
ですから、私はそれを信じて、地震保険に入ったり、家を耐震構造に作り直したりしました。
災害は来てほしくありませんが、「備えあれば憂いなし」と思っております。
そして、科学技術は万能ではないとも言えます。私は以前、製鉄会社で働いていた事がありました。
その工場のラインで不具合が起き、熱された鉄が動かなくなってしまった事がありましたが、その時の工場長の経験で、見事不具合を解消出来たという事がありました。このような対処法は、経験や歴史に学ばなければいけません。
今は何でもコンピューターやAIで処理してしまいますが、もし入力したデータに不具合があればうまくいきません。
さらに、データに不具合がなくても、AIの想定範囲を超えたような条件が起きた時に、やはりおかしくなってしまいます。
今回の震災についても、想定外という言葉をあまり言ってはいけません。
私を含め、想定出来る知識がなかったという事を、改めて考えて頂きたいと思います。